俯瞰

井上ジョーさんのnoteより抜粋

 

「同じ言語で話していてもお互いの常識が違うため、伝えたい事が全く通じなかったり。」

 

本当にそうだと思う。

 

逆に言葉が通じなくてもフィーリングで分かり合えることも本当にある。

 

もちろん同じ言語を使えたらより繊細な感情の機微まで伝え合うことはできると思うけれど。

深く知りたいのであればお互いの国の言語への理解は必要だと思う。

 

自分のフィルターを通してしか世界を見ることができないから、自分主体だし自分が見てる目の前の物全てが世界だと思ってしまう。

 

特に子供のうちはそうだ。

 

これが全てと思い込む。

とてもとても狭くて小さい所にいて井の中の蛙であることを知らない。経験値が少ないから。

私は気づけば子供になっている。

色々な人がいると理解しているつもりなのに、いつの間にか気づくと凝り固まってしまう時がある。

柔軟であれという考えも私の凝り固まった癖だと思う。柔軟じゃない愚直さの中にも美しさはたくさんある。

 

世の中には本当に様々な価値基準判断を持った人がいて、十人十色とはよく言ったもんだ。

同じような人達と一緒に過ごしていると居心地もいいし気づけないし忘れてく。

だから時々出会う、そんな考え方もあるんだ!!という人にはスペシャルを感じる。

自分の頭をかち割ってくれるような出会い、出来事って誰にでもあると思う。

そういう経験を通してまた新たな自分が創られていくんだよね。

 

頭が凝り固まって小さくなってしまったら、一度息を吐いて俯瞰してみる。

あれ?何でこんなに必死なんだったっけ?

何でこんなに執着してるんだ?と。

手放すと自由になれる。

離せないとあれもこれもと重くて苦しくて大変。

守りたいものは命をかけて守ればいい。

それ以外は別にいいじゃない。

大したことない。変わらんよ。

と自分に言い聞かせてまた進んでいく。

 

年々切り替え方が上手になっておりコントロールできるようにはなったけれど、私の中の子供が悲鳴をあげている時はちゃんと聞いてあげる。

時間をかけることは悪いことではない。

 

それぞれが自分の正義を胸に抱えて生きている。