人との距離感について思うこと

 

生きるのがしんどい。

よくわかる。

実は思う。

 

真っ直ぐに生きることしか考えていなかった頃が懐かしい。

必死さこそが命に対して真っ直ぐだと思う。

 

生きるにつれて孤独は深まる。

 

どう癒せばいいのか寂しさは募る。

 

いっそのこと。

何度そう考えたことか。

だけど大抵勇気はない。

誰しも通る道。

 

それに不意に奪われるのは嫌なのである。

 

他人がどうこうしていい私ではない。

 

座間市の事件はこういう人間の弱さにつけ込んだ悪質なものだ。

 

だけど時々思う。

あと何年この日々を送ればいいんだろうって。

 

繰り返して歳を取って、惨めさだけが残って朽ちていく。

 

承認欲求も満たされず

ただ死ぬのを待っているだけ。

 

何でこんな人生を送っているのだろう。

 

とはいえ選択してきたのは自分自身で変えられるのは自分しかいなくて。

 

どう舵取りをすればいいのかも定かではなくて。

何も正解ではないし何も間違ってはいなくて。

ほんのひと握りの信頼を頼みの綱にしてしまい期待しすぎ、勝手に裏切られたと憤る。

相手だって同じ人間なのにね。

生きている。感情も変わる。

 

何て惨めなんだろう。

結局他力本願じゃ生きていけないのだ。

誰も助けてはくれないのだ。

 

 

こういう人を見ると自分と重なる。

 

だからつい何とかしたくなるし、私という存在が少しでもこの人にとって明るくなるのならと考えてしまう。

 

飼えないのなら半端に情けをかけてはいけない。

野良猫に餌をやる私がよく言われたことだ。

 

最後まで面倒を見れないのなら情けをかけてはいけない。

 

でもどうだろう。

例え最後まで付き添えなかったとしても、ほんの一瞬の間でも、私は優しくしてもらったことを忘れない。

記憶に残って刻まれている。

 

暖かさを知らずに恨みながら死んでいくのと、たった一時でも温もりを感じて死ぬの、どちらが幸せなんだろう。

 

優しさを一切知らずに終わるなんて。あんまりじゃないか。というエゴの話。

だけど私を生き甲斐にされてしまうと重たくて苦しくなってしまう。逃げ出したくなる。

期待しないで欲しくなる。

私は善良な人間ではないし温厚でも優しくもない。

別に心も広くないし落ち着いてもない。

短絡思考のガキだ。

また逆も同じで私が相手の一挙一動に応じて翻弄されて生きていけないと思い込んでしまう関係も非常に苦しい。

 

だって一方が与えるだけの愛情って本物の関係ではないと思うから。

それって全然対等じゃない。

 

与え合えなければ何のメリットがあるのだろう。

消耗ばかりする付き合いって何のために存在するのか。

何でビジネスでもないのに、一銭も生まないのに搾取のやり取りがあるのか。

奴隷でも人形でもロボットでもない。

相乗効果が大事じゃないの。

それができないのなら全員一緒。

フラットな関係でいい。

縛り付けなくていい。

 

だったら1人という自由な時間の方が100億倍幸せ。

バランスは必需品だ。